1782年鎖国の江戸時代
伊勢の国(伊勢亀山領白子村)の
船主・大黒屋光太夫(だいこくや こうだゆう)達船乗り
17人を乗せた神昌丸が遭難し
アリューシャン列島まで漂流しロシアの
アムチトカ島に漂着しました
光太夫らは、この島で4年間過ごし
ロシア人と共同して船を造りカムチャツカに脱出
さらにオホーツクからイルクーツクに送られ
日本語教師になるよう要請されました
しかし、あくまで帰国を希望しここで会った
学者であり実業家であるキリル・ラクスマンの尽力により
ペテルブルグまで行き
この時、幸運にもロシアの上流社会に普及しはじめていた
お茶会に招かれる事となりました
西暦1791年(寛永三年) エカテリーナ宮殿で
ロシア帝国の女帝エカテリーナ2世に接見がかない
キリルの息子アダム・ラクスマンがロシア最初の
日本への使節として派遣されるのに伴われることになり
正式に帰国の途につくことを許されたのです
そしてエカテリーナ2世から勲章と紅茶を贈られました
この接見した日が11月1日だと言われています
大黒屋光太夫が日本人として初めて外国での正式の茶会で
紅茶を飲んだ最初の人とされています
この事から日本紅茶協会が1983年(昭和58年)に
11月1日を「紅茶の日」と制定しました
でも茶摩では毎日が紅茶の日ですよ♪ |